目が覚めた

朝、急にコーキングヘラで描きたくなりました。
布団の中にて。ふかふか。
ああ、お腹がすいたし、出勤しなければ。

そのうち動くエッセイ⑦

本来の力を取り戻す手助けをするだけという時間を過ごした1日。
私たちの脳にダイレクトに届け、感情や本能をコントロールしたり真ん中(中庸)にもってくる。
植物、すげぇ。
自身は生まれた時点では、まったく免疫を持たないゆえに、自身で身を守るための物質を体内に作り出す。
なんと強いことか。
たしかに植物は動きはないけれど、静かに私たちに優しく話しかけてくる。その全てを知っているかの如く。本当の強さ、命の強さを感じます。
(たまに賑やかなタイプもおりますが)

私は讃美歌を聴くのが日常なのですが、聞いていると植物を連想するのも
きっとなにか関係があるような気がします。
知っている方、教えてください。
※わたしは無宗教。


▲5~6年前はこんなことしてたんだ、、、。もー作れん。

ビューティフルサタデー

今日も子どもたちは
小さな手を広げて
光とそよ風と友だちをよんでるー♪

今日は小雨から晴天の午前中でした。
それぞれがそれぞれの制作に挑むいつもの土曜日です。
この「いつも」が私は好きです。
ありがとうございます。

私も羊毛の小物作りたい!

きりぎっちょん、山のぼり、

朝からとうから、山のぼり。

ヤ、ピントコ、ドッコイ、ピントコ、ナ

山は朝日だ、野は朝露だ、

とても跳ねるぞ、元気だぞ。

ヤ、ピントコ、ドッコイ、ピントコ、ナ

あの山、てっぺん、秋の空、

つめたく触るぞ、この髭に。

ヤ、ピントコ、ドッコイ、ピントコ、ナ

一跳ね、跳ねれば、昨夜見た、

お星のとこへも、行かれるぞ。

ヤ、ピントコ、ドッコイ、ピントコ、ナ

お日さま、遠いぞ、さァむいぞ、

あの山、この山、まだとおい。

ヤ、ピントコ、ドッコイ、ピントコ、ナ

見たよなこの花、白桔梗、

昨夜のお宿だ、おうや、おや

ヤ、ドッコイ、つかれた。つかれた、ナ。

山は月夜だ、野は夜露、

霧でものんで、寝ようかな。

アーア、アーア、あくびだ、ねむたいな、ナ。

やっと肌寒く感じる気温になったような。大好きな金子みすゞさんの詩を読んで寝る。

 

ショック

大好きな「誕生日のチャチャチャ」(NHKみんなのうた)を聴こうとyoutubeで検索したら
この動画はダメよ、になっていました。
とても残念です。素晴らしく可愛らしいアニメーションなんですけど、、、、。イタリアの人が作った作品。

算数チャチャチャ
▲え?え?何?!わかんない!ってなる「みんなのうた」でした。
わたしのにゃんこ
▲ずっと歌ってたなー。

三つ子の魂百まで

自分ではいろんなことを実験するのが好きでしているつもりなんですが、
少し前に大先輩に
「いや、全然変わってないから!笑」って言われてから
ああ、そんなもんだわよね、と三つ子の魂百までを痛感しました。

ぶらんこ

アトリエのお庭にはブランコがあります。
見た目がっしりしてますが、ちょっとぐらつきます。
いつもみんなには「一緒にのれるのは、2人までだよ!」と注意をしています。
3人で乗っていたので、注意をしたら、一生懸命かんがえたのでしょう。
背の順に並んでのれば大丈夫だよねっ!と言い、座る場所を移動して3人で楽しそうにのっていました。
うーーん、違うってば。
(かわいい!)

過剰反応

、、、、、前記事にていかにもキラキラ女子(女子じゃないが)を地でいってるふうですが、
今でこそこんな感じでありますが、最近まで体が硬直してしまうクセがありました。

父親が怖いのと嫌悪感とそんな感情で縛られて、父が家にいる時はトイレに行くのも勇気を振り絞っていっていたし、
息を殺してテレビの部屋を過ごしていました。過ごさなきゃいいじゃないか、と思うでしょうが、家でひとりだと思ってこたつでゆっくり過ごしていたら父帰宅。すんなりその場を離れりゃいいものの、もう身が硬直して動けない。動くタイミングを作ることができない。唾も飲めない、、、、、、。
ちなみに、朝学校に行くときに寝ていた父は、私が学校から帰ってきた時にも家にいてテレビをぼーっと見ているという
日が少なくはありませんでした。(父は一応、建設会社を興していたのです。幼少のころ、解体後の更地の現場に行った記憶とかおぼろげにあります。あと、養子に出されかけたことも覚えています。母が断固反対したらしいです。庭があって離れがある和風の家でした。ん~ちょっと養子でもよかったかな。)

そんな過剰は神経を育んでしまったので、他人の中に身を置くだけでもかなりの負担でした。超ストレスです。根っからの一人好きです。

ところがどっこい。そんな私も今では健常な感覚になってきました。
なんでだろ?
今思うとあんなことやこんなことの数々の経験が鍛えてくれたんだろうし、そう私が願ったからこそそんな経験を無意識に選び取ってきたのだろうと。

あと。
実は、父自身がそうだったのでは、と思うようになってきたんです。
きっとつらい思いをして生きてきたのでしょう。
戦後の福島の田舎の山奥です。貧乏であちこちをたらいまわしになったことでしょう。

うーーん、でもやっぱりダメな父親でしたけどね。
だって生活費くれないんですもの!あげく、消えちゃうんですもの!笑

身体的

「今、ここ」にどれだけ集中できていないでしょーか。

これから先の妄想にとりつかれ、過去を繰り返し再生しつづけている脳みそよ。
今を見ることで必要な情報がドドドッと流れ込んでくるように思います。

どうするかっていうと、もう目の前のことは、いつもいつでも
「はじめまして!」くらい受け止めちゃう。そんなこと言ったって無理、いつも同じじゃん~
ってなったら、「わはははー、また、いつもと同じだよ~」って思うこと自体を、初めまして!にしちゃう。

あと、お世話になっている尊敬する恩師も常日頃おしゃっていますが、体を動かす!これ、テキメンです。

私は、歩きます。仕事絡みで。
みんながなんとなく倦厭する飛び込みでの営業やチラシ配りなど、よく行きます。
(教室内でインストラクターしているより向いてるからね)
歩いて歩いて歩きまわります。歩くと、どんどん視界に映るものが瑞々しく感じます。キラキラしているんです。
「今」の中に身を置いているんです。
するとですね、教室に帰ってきたころにはアイデアで頭がいっぱいだし、いろんな人にいきなり訪問で会って話したり、
途中で知らない人と井戸端会議したりなんやかんやで、もう両手にはたくさんの頂いたお知恵を抱えている状態なんです。

楽しい。

新しく何かを始めたりするときには、えいっ!という力が必要です。
そんな時は、先を考えたり、過去のつらい経験をひっぱりださず、
初めまして!わくわく!という気持ちで、まずは胸をいっぱいにしてみるようにしています。

そして不思議なことに、そのわくわくはに周り人にも移るんです。

ってことで、寺山地区。坂道多かったし、途中で頭から血を流しているご老人と遭遇しちゃうし(お声がけしましたよ、もちろん)、本日もヘルプで徘徊。

、、、、、!あっ!だから、現場が好きだったのかも知れない。現場にはいつも「今」しかない。笑
今をひたすら必死に繰り返す以外道はない。(その余裕のなさときたら。)

創作の三段仕込み

(絵を)描いて、(思考の文字化)書いて、眺める。

創作の三段仕込みと呼ぼうっと。

”絵を描くだけではなく、思考を文字にして、それを眺めることが、創作にはとても重要だと思うんです。”

ありがとうございます。